備忘録

小淵沢賛歌

備忘録


とよなか 粋遊会 
                         初代会長 日野昌昭
「とよなか粋遊会」は、平成19年6月、財団法人 とよなか男女共同参画推進センターすてっぷ主催、「男の生  活力養成講座」への参加がきっかけで、当時の参加者各位の強い要望と、講師 吉田清彦先生の強い後押しによ り結成され、発足いたしました。
 会員数の減少・増員など紆余曲折がありながらも、会員各位の 「会の目的と主旨」を十二分にご理解頂いた上 強力なご支援・ご協力のお陰で、平成22年7月現在会員数26名の盛大な会に発展する事が出来ました。会員各 位に深謝しています。

 企業戦士が第一線を退き、ピカピカの第二の新人生をスタートするに当たり、本会に入会頂き、新たな居場所 を見つけ、生き甲斐を創り出され、行動をされる姿を拝見
すると…「とよなか粋遊会」の発足当時の目的が叶 いつつあるのかな、進化しているのだな…良かったな と実感しています。

 発展の一つとして、今回、我々会員の活動がホームページを通じ、会員各位、またネットの皆様に開示出来る 運びになったことも成果です。開設の運び、心からお慶び申し上げます。

 小生として、従来同様、今後とも微力ながらも、ご協力、ご支援する所存でございます。
 今後益々会員各位のご支援・ご協力を賜り、更なる発展を心から祈念申し上げ、ご挨拶とさせていただきます。



              とよなか粋遊会 会則

平成20年11月23日作成                                           
平成21年12月5日改定                                            
平成22年12月21日改定                                              
平成23年12月20日改定
 
                                                      
       
目 的 男女共同参画の理解と推進を目指し、男の料理教室を基盤とし、地域での居場所を探し、仲間づくりをし、いろいろな事に挑戦・体験等の交流から親睦を深め、自立し、充実した第二の人生を楽しむ
会員
資格
原則的には定年等を迎え、豊中近郊(関西地区も可)に住み、会の目的に理解と賛同できる
活動概要  開 催  毎月第三火曜日
 内 容   その一  料理教室開催:一回/三ヶ月(年4回)
場所 エトレ豊中ビル六階 
講師 吉田清彦先生
 その二 各種企画(会員各自が意見・希望を持ち寄り審議・討議して具体的企画内容を決める)
例えば、名所旧跡巡り、ハイキング、工場見学、音楽芸能スポーツ鑑賞、食べ歩き、陶芸○○研究・・・
企画
基準
  1. 誰でも参加できる
  2. 日帰りとする
  3. エコノミーとする
  4. 参加は各会員の任意であり、自己責任においての参加とし事故等については会及び役員、幹事は一切責任を負わないものとする





その他
 
  その一
企画は輪番制とし、任に当たった方は幹事として企画を推進実践する (幹事には当月の企画費用として二千円支給する) 
  その二 企画に出席会員は企画のつど各自の実費払いとする
  その三 会長には、年12,000円の経費(実費相当)を支給する
  その四 会則は、年度末総会での会員の審議により変更可とする




会 費
 年会費 三千円(会計年度:毎年1月~12月)
  1. 年会費は毎年12月の総会時に一括支払う
  2. 7月以降の入会者の年会費は、1,500円とする
  3. 会費の使途は幹事経費(事務消耗品費、通信費)等に充当する
  4. 会計報告は毎年12月の総会で口頭報告とする
  5. 特別経費を要する場合は、年会費から充当若しくは別途徴収する
  6. 会費はいかなる理由があっても返却はしない
役 員
 
毎年の総会において、会長 1名、副会長 複数名(会計担当を含む)を決める 
役員の任期は一ヵ年とする。但し再任は可とする  
役員会 役員は、会員の意見や要望を審議する場とともに、当会の運営に関する調整と情報の共有化を目的に、必要に応じ役員会を開催する
総 会 総会は毎年12月に開催し、当年度の活動報告及び会計報告を行うとともに、翌年の役員候補者等の提案を行い決議を得る
役員の改選や会則の改定等の決議事項は、総会員の3分の2以上の出席で、かつその出席者の3分の2以上の賛同を得る
その他 有志活動として、ゴルフ・ハイキング・テニス・釣り・囲碁などの趣味の集まりがある
                          
 「 とよなか粋 遊 会 」 とは (発足経緯) 
                                                       平成 27年 10月 20日
                             矢原 正利
                                     平成19年6月、豊中市設置の「とよなか男女共同参画推進センターすてっぷ」が主催する「定年後を生き生きと・男の生活力養成講座」への参加がきっかけで、当時の参加者各位の強い要望と講師・吉田清彦先生の後押しにより、当初は「すてっぷOB会」として結成、会員13名で発足し、平成19年7月に第1回行事(総会他)を開催致しました。
 
平成19年12月、すてっぷに自主グループ結成報告書を提出し、認可されました。
会則として現在の会則の基となる、「会の活動目的、会員資格、活動概要、会費など」を決めめました。
平成 20年1月開催の「第7回すてっぷOB会」席上にて、グループ名を「とよなか粋遊会」と改ました。
平成 20年12月の総会にて、会則の目的を「男女共同参画の理解と推進を目指し、男の料理教室を基盤とし、地域での居場所を探し、仲間づくりをし、いろいろな事に挑戦・体験等の交流流から親睦を深め、自立し、充実した第二の人生を楽しむ」と一部補正し、会員資格としては当初よりの「会の目的に理解と賛同出来る方」を継承しました。 (詳細は会則を参照下さい)
平成21年4月、すてっぷに登録団体制度が実施され、登録団体として申し込み、認定されました。(利用者番号 38598)

登録団体としての要件等の概略は次の通りです。

  登録要件
 ① 活動目的の中に男女共同参画社会の実現に取り組むことを含む。
 ② 主たる活動地域又は活動の中心地が豊中市内であること

 ③ 団体構成員5名以上で、その過半数が豊中市民(在住・在勤)であること
 ④ すてっぷで1年間に4回以上定期的に活動を行っていること。 
  
  支援内容
 ① 貸室使用、1回の抽選で4件の申し込み可。
 ② 貸室使用料、月2回免除。
 ③ グループロッカー使用料 無料。
 ④ 登録団体活動事業に対する経費一部負担助成金事業制度(事前申請)あり

  役割
 ① 連絡会議や指定する研修に代表者等が参加すること。
 ② すてっぷが実施するイベント等の施策に協力すること。平成 27年4月現在   の すてっ ぷ登録団体数は、27団体。平成 27年10月現在の「とよなか粋   遊会」 の会員は、22名。
   月1回の月例会(毎月第 3火曜日)と有志による趣味活動あり。

 
「とよなか男女共同参画推進センターすてっぷ」とは
社会のあらゆる分野への男女の均等な参画及び男女の人権の確立を図り、男女が社会の対等な構成員として、その責任を分かち合い、共に築く男女共同参画社会の実現を目指して2000年(平成12年)11月、豊中市が設置したものです。

 愛称「すてっぷ」とは                            
Station(拠点)、Toyonaka(豊中)、Empowerment(人の力を引き出す)、Partnership(男女が対等なパートナーとして社会を形成していく)の頭文字STEP(あゆみ)をかけ愛称として親しみやすいよう、ひらがなで表示しています。
                               以上







カミオカンデ
陽子崩壊観測を主目的としたカミオカンデは、Kamioka Nucleon Decay Experiment(神岡核子崩壊実験)の略した名称
柴昌俊博士曰く、本来は別の意味だった。Kamioka Neutrino Detection Experiment(神岡ニュートリノ検出実験)


・nucleon(核子。陽子と中性子の総称)
・decay(崩壊、腐る)
・Experiment(実験)
・ニュートリノ(1cmの1億分の1の,そのまた1億分の1の大きさ)
 宇宙から飛んでくる目に見えない小さな粒子

新居浜市 市制施行60周年記念で作成 (平成10)


生涯学習のまちづくりを目指し、個性・共生・交流・感謝・継続 の文字がポケットパークにある五つの大きな御影石に刻まれている。
 【個性】 個を尊ぶ(わたしづくり )           
 【共生】 なかまづくり(ともに生きる)
 【交流】 世界づくり(みがきあう)

【感謝】 ふるさとづくり(ありがとう)
【継続】 楽しさづくり(楽しさづくり)

 

生涯学習lifelong learning)人が生涯にわたり学び・学習の活動を続けていくこと(昭和56年の中央教育審議会答申「生涯教育について」より)

 



2013/07/14  朝日新聞 「天声人語
体が引き締まり、日に焼け、すこぶる元気そうである。すこし前に退職した会社の先輩と先日偶然会い、立ち話をした。日々の暮らしぶりを楽しげに語ったが、そこには秘訣(ひけつ)があるらしい「キョウヨウ」と「キョウイク」なのだという。教養教育かと思いきや、さにあらず。

 

「今日、用がある」と「今日、行くところがある」の二つである。なるほど何も用事がなく、どこにも行かない毎日では張り合いがあるまい。かつての同僚から聞かされて実践しているというその同僚も誰かから聞いたというから、かなり流布している教えなのだろう。調べてみると、『頭の体操』で知られる心理学者の多湖輝(たごあきら)さんの著書に行き着いた。一昨年に出した『100歳になっても脳を元気に動かす習慣術』で紹介している多湖さんも100歳に近い大先輩に教わったのだそうだ。「ボケないための頭の使い方」を実に巧みに表現した言葉だと絶賛する。老後をどう生き生きと過ごそうかと誰しも考える。この話はわかりやすく、納得感もあるから、伝言ゲームよろしく広がっていくのも道理だろう日々の原稿に追われる身としてはまだ先の話と思いたくなるが、山登りや畑仕事に忙しい件(くだん)の先輩に諭された。「いまのうちから考えておけ」。たしかに定年を迎え、突然訪れた空白の時間の大きさに心身の失調をきたす人もいると聞く生来のものぐさ向けのボケ防止策はないものか。多湖さんも勧めるようにせめてよく笑うことにしようか。


中央公論2015:10月号



若山牧水
かんがへて飲みはじめたる一合の二合の酒の夏のゆふぐれ









青のりといえば、一般的には青さ(業者間ではバンドウ粉といわれています)が最も多く普及していますが、見た目は同じようでも風味と栄養価において大きな違いがあります。多くの方は青さも青のりも同じと思っているようですが、使ってみればその違いがわかります。 青のりは現代人が不足しがちなビタミン、カルシウム、鉄分をたっぷりと含んでいます。成人用病予防やストレス解消に、美肌づくりに、育ち盛りのお子様に、優れた健康食品として安心しておすすめします。 四国の青のりは、青のり生産全国一の愛媛県西条のウスバアオノリ、高級すじ青のりの最大産地は徳島県吉野川の青のり、天然天日乾しで最高の品質といわれる高知県四万十川の青のり


NHK 2013-9-24
「噴飯物」ということばを「腹立たしくてしかたないこと」と誤った意味で使っている人が半数を占め、「おかしくてたまらないこと」という本来の意味で使っている人は20%しかいないことが文化庁の調査で分かりました。

調査では、「噴飯物」ということばをどのような意味で使っているかたずねたところ、本来の「おかしくてたまらないこと」を選んだ人は20%しかおらず、「腹立たしくてしかたないこと」と誤って使っている人が49%を占め、「分からない」という人も27%いました。
また、「流れに棹(さお)さす」の本来の意味は、「傾向に乗って勢いを増すような行為をする」ですが、「傾向に逆らって勢いを失わせるような行為をする」と逆の意味で使っている人が6割近くに上りました。
このほか、「役不足」ということばでは、本来の意味とは逆の「本人の力量に対して役目が重すぎること」を選んだ人が51%で半数を超えていました。
調査の中では漢字の使い方についてもたずねていて、「会議で決を“と”る」というときの漢字を採決の「採」と正しく答えた人は59%で、取得の「取」や「筆を執る」というときなどに使う「執」と誤っている人がいました。
また、「役に立つ本を“すす”める」という場合に正しく推薦の「薦」の字を選んだ人は57%で、勧誘の「勧」と誤った人が30%いました。


Galapagos諸島(エクアドル)
ガラパゴス化現象

鈍感力 家の中でも 必需品
病院も あったらいいな ポイント制
このオレに あたたかいのは 便座だけ
ドットコム どこが混むのかと 聞く上司
脳年齢 年金すでに もらえます

堀越二郎=零戦設計
堀越雅郎(堀越二郎長男)小学5年生の頃だと思いますが、父がハイキングへ連れていってくれた時に、「人類はこれから百年以内にロケットで月に行けるよ」と

【レム睡眠】

・浅い眠りで身体は深く眠っているのに、脳が活発に動いている状態
・筋肉の疲労回復
・トイレに起きたくなる
・物事で目が覚めやすい
・脳は働いているのでこの時目覚めるとすっきり起きられる
・脳は動いているのでこの時よく夢をみる
・脳を動かして記憶の固定をしている
・金縛りにあいやすい
・レム睡眠10分~20分程

【ノンレム睡眠】

・深い眠りで脳も身体も休んでいる状態
・身体を支える筋肉は働いている
・ストレスを消去している
・ホルモンの分泌をしている
・居眠りのほとんどがノンレム睡眠



放下師(大道芸の一種)

御師

諾う(うべなう)

炊ぎの煙(かしぎ)

宿将(経験に富んだすぐれた将軍)

アマゾネス(amazonas)=ギリシャ神話に出てくる女性だけで構成さる部族=女戦士=別称アマゾン

一頭地を抜く=他の多数の人より、一段と勝れている

兄弟牆に相せめぐさま(内輪喧嘩をする)牆=垣

痼疾

名のみの春

かわたれどき(彼は誰時)(朝方に限定)
たそがれ(誰そ彼どき)(夕方)

海ゆかば作曲 信時 潔(ノブトキキヨシ)

うなぎ文 金田一晴彦 僕はうなぎにする=僕はうなぎ

名伯楽

ベーグル
クランベリー(crane berry) コケモモ科)酸味が強い

incubator(孵化器) 起業に関する支援を行う
healing music
wedge くさび
wedge issue 分裂の原因となるような問題

三国一(室町時代の流行語)日本・唐土・天竺

重陽の節句(陰陽思想では、奇数は陽の数9月9日 
奇数が重なる月日は、陽の気が強すぎるため不吉とされ、それを払う行事として節句が行われていたが、九は一ケタの数の内最大の陽であり、特に負担の大きい節句と考えられていた。あと陽の重なりを吉祥とする考えに転じ、祝い事になった

五節句
・人日(じんじつ-1/7)の節句=七草の節句
・上巳の節句(じょうし-3/3)
・端午の節句
・七夕(しちせき)の節句
・重陽の節句(9/9)

オスモチン=食物タンパク(リンゴ、サクランボ、ブドウ、キウイ、トマト、ピーマン、トウモロコシに多く含まれる)
→動脈硬化の予防・改善、肥満防止

Jackson hole

ジャクソンホール (Jackson Hole) は、アメリカ合衆国ワイオミング州北西部に位置する谷。また、谷に位置する唯一の都市であるジャクソン市を指してジャクソンホールと呼ぶこともある。地名に Hole(穴)とあるが、これはこの谷の北側と東側の山が余りに高く、斜面が急であることから、初期のわな猟師たちが穴に入ったかのように感じたことからついたものであり、カルスト地形に見られるドリーネのような穴があいているわけではない。

ジャクソンホールは近隣のイエローストーン国立公園や谷の西半分を占めるグランドティトン国立公園への玄関口となっている。また全米屈指のスキーリゾートとしても知られている。そのため、ジャクソンホールはワイオミング州のみならず、全米でも有数の観光地となっている。ジャクソン市はそれらの観光地への拠点、および一帯の文化の中心地である


bail-out=緊急援助
low-key
high-key

石丸 悟平(1886-1969)

パラドックス=逆説=急がば廻れ→一見心理に反するようだが、実際には心理を突いていること

偏差値=50+10z
      Z=(X-Xの平均値)/σ
      σ=標準偏差

    

    
水(中国四川省)始皇帝暗殺
泰斗(泰山と北斗)その道で世人から最も仰ぎ尊ばれている権威者)

リフレ=reflation=通貨再膨張 以下wikpediaより

リフレーションとは、デフレーションから抜け出たが、本格的なインフレーションには達していない状態のこと。略称はリフレ。日本語では通貨再膨張とも訳される。

リフレーションを起こそうとする政策をリフレーション政策(リフレ政策)といい、不況下における設備の遊休あるいは失業(遊休資本)を克服するため、マクロ経済政策(金融政策や財政政策)を通じて有効需要を創出することで景気の回復をはかり、他方ではデフレから脱却しつつ高いインフレーションの発生を防止しようとする政策である。言い換えれば、年率換算にて数%程度の緩やかで安定的なインフレ率を持続させようとする政策である。


半沢直樹=クリフハンガー

cliffhanger or cliffhanger ending) とは作劇手法の一つ

芒種(6月6日頃、稲の穂先のように芒=とげ=のある穀物の種まきの頃。24節句

アディポネクチン
trivia

stoic=禁欲の、冷静な

Krazy salt(岩塩+ペパー、オニオン、ガーリック、セロリ、タイム、オレガノ、スイートマージョラム)

ルサンチマン(仏)(resentiment)主に弱者が強者に対して、「憤り・怨恨・憎悪・非難」の感情を持つことを言う。 デンマークの思想家セーレン・キェルケゴールにより確立された哲学上の概念(Wikipedia)


パパラッチ、タブロイド版

カスバ=城壁

ちゃっぷい=寒い

失見当(=失見当識)
見当識

easter monday イースターの7日後

インカムゲイン(配当・利息)
キャピタルゲイン(譲渡益)

膾(なます)

モラルハザード

保険加入したことによって,加入者が果たすべき注意を怠ったり,故意事故起こしたりするような危険。道徳的危険
金融機関預金者,企業などが節度のない利益追求に走るような,責任感倫理性欠けた状態。倫理欠如


為替ヘッジプレミアム

サフォーク=羊の種類


八紘一宇

雲散霧消

deep throat= 内部告発者

ナチュラルチーズ(加熱処理されていないもの)
・フレッシュチーズ(熟成させないもの、バニール、モッツァレ、カッテージ、
 ルービンなど)
・ウォッシュチーズ(表面に菌を植え付け、熟成させ、ワインで洗う)
・白カビチーズ
・ブルーチーズ

Mr.Paul Rusch (清里)  Do your best and it must be first class.

スワヒリ語 アフリカ東部のウガンダ、タンザニア、コンゴなど。英語に次いで7千万人の共通語

寛解
予後
煎茶

デカップリング論              

デカップリングは、一般的には、あるものと別のあるものが分離することを指し、連動(カップリング)していたものが連動しなくなる(デカップリング)という現象について用いられる用語(言葉)である。

2007年に国際通貨基金(IMF)の世界経済見通しをきっかけに、世界経済と米国経済との連動性が弱まるという意味で用いられたことにより、一時、世界的に流行した概念である。具体的には、米国経済が減速しても、中国・インド・ロシア・ブラジルなどの新興国経済や、EUなどの欧州経済が成長を続けることで、世界経済を牽引するという考え方で、特に新興国の輸出に占める米国向けのウェートが低下していることを根拠に、米国の成長率が低下しても新興国が大きな影響を受けることはなく、世界経済全体は高成長が続くというシナリオがもてはやされていた。

しかしながら、2008年に米国発のサブプライム問題が世界的な経済危機に急転する中で、一時もてはやされていた世界経済と米国経済のデカップリング論は単に切なる願望にすぎなかったことが分かり、それに対して世界経済と米国経済は切り離されていないという「リカップリング論」が注目されることになった。

若山牧水
かんがえて飲みはじめたる一合の二合の酒の夏のゆうぐれ
人の世にたのしみ多し然れども酒なしにしてなにのたのしみ
ひしと戸をさし固むべき時の来て夜半を楽しく取り出す酒
それほどにうまきかと人のとひたらばなんと答へむこの酒の味
膳にならぶ飯も小鯛も松たけも可笑しきものか酒なしにして

酒やめむそれはともあれながき日のゆふぐれごろにならば何とせむ

朝酒はやめむ昼ざけせんもなしゆふがたばかり少し飲ましめ

紫に澄みぬる富士はみじか夜の暁起きに見るべかりけり
 暁起き-あかつきおき
夜明け前に起きること



百事詣(ひゃくじととのう)

パンドラの箱

放射冷却

冴え返る(さえかえる) 1.光や音などが非常によく澄む。また、冷えきる。 新後拾遺 和歌集冬「しぐれつる宵の村雲冴え返りふけ行く風にあられ降る なり」。「冬空に 冴え返る月」 2.寒さがぶり返す。春の季語。 玉葉集春「冴え返り山風荒るる 

余寒

向日葵、翻弄、梗塞、氾濫、脆弱・隠蔽・黎明・懶惰

綸言汗の如し

錦地

懶惰

砌(みぎり)(時・節・頃) 暑さの砌

pandemic=感染症が世界的規模で同時に広がること=世界的流行
legacy system=時代遅れとなった古いコンピューターシステム
euphoria=根拠のない過度の幸福感=有頂天

統計学
・第一種の誤り=すべきでないことをする誤り
・第二種の誤り=すべきことをしない誤り

惹句
bitters bottle 一ダッシュ(一振り) dash

雁木(がんぎ)   

姫路城の雁木


死語 丸ドメ派
日本企業が海外に進出しようとした10年ほど前から、隠語として「マルドメ」が流行した。「まるでドメスティック」つまり純国内派の人のことを指し、国内企業しか働けない、という意味。英語が弱い。

心耳に届かない
断章取義
人を呪えば穴二つ

ポワレ、ソテー、ロテ

清酒は大吟・吟醸・純米・本醸の総称
そしてカテゴリー的には大吟醸・吟醸・本醸は醸造用アルコール(のど越しや飲み口を軽やかにしてくれる)を添加しているもの。純米大吟・純米吟醸・純米はその名の通り米と水だけで造るもの。
そして大吟・吟醸・本醸はの違い!
お酒を造るときには一番最初に米を芯に近い部分まで削る作業があるのですが、その削り方がより多いものから大吟→吟醸→本醸(純米も同じ)となります。
米をより削ることにより技術的には難しさが増しますが、雑味などがとれ米本来の上品な味が引き立ちます。なので価格も大吟→吟醸→本醸の順になるわけです。


百事詣(ひゃくじととのう)
 縁談、金談、交渉事などが全てうまくいくという縁起の良いい言葉

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 小淵沢町
 
  -Weblio辞書より転記-

  出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/05/29 12:59 UTC 版)

小淵沢町
廃止日  2006年3月15日
廃止理由  編入合併
 小淵沢町→北杜市
町の木  アカマツ
町の花  スズラン


八ヶ岳高原の山梨県側表玄関口として知られる。2006年3月15日、平成の大合併によって隣接する北杜市へ編入合併したため消滅した。現在は同市の行政地区名の一つ、北杜市小淵沢町地区となっている。


小淵沢町は甲信国境の地にあり、甲府盆地と諏訪盆地のほぼ中間に位置するため、古来より交通の要衝とされていた。町内を中央本線・小海線の2つの鉄道路線が走り、中央自動車道のインターチェンジが置かれている。

小淵沢町は、NHKの大河ドラマ「武田信玄」の騎馬シーンの撮影が行われるなど「乗馬の町」として知られており、現在では以前より盛んであった馬術乗馬や登山などに加え温泉やアウトレットモールの出店など観光地としての地位を着実に上げつつある。また、定年退職を迎えた者の居住なども見られるようになってきている。

小淵沢町は1954年に当時の小淵沢村篠尾村が、昭和の大合併に基づき山梨県内で最初の合併を行い成立した町で、法人格の存在する地方自治体としては、2006年の北杜市への編入までの約半世紀間存在した。


北にそびえる八ヶ岳連峰を頂点に南側に向かってなだらかな傾斜をしている「八ヶ岳南麓の町」である。町域のほとんどの部分は「七里岩」と呼ばれる台地の上に存在しているが、七里岩台下に流れる釜無川までが当町域に含まれる。


【地理】
 : 八ヶ岳連峰・権現岳および編笠山
 : 釜無川・女取川(大深沢川)・頭佐沢川・城の沢川・鳥橋川・加倉川・小深沢
川(深沢川)・鯛沢川・高野沢川・西沢川・      仏沢川・久保沢川・松木沢川・甲六川
丘陵
七里岩
湧水
観音平延命水・勘左衛門湧水・熊野権現湧水・井詰湧水・後田湧水・根山湧水・雁羽沢湧水・小深沢湧水・平井出湧水    深沢湧水・大滝湧水・馬場湧水

気候

小淵沢町は八ヶ岳南麓の高原に位置しているため、夏季においても涼しく過ごしやすい。しかし、冬季には八ヶ岳から吹き下ろす八ヶ岳颪(やつがたけおろし)と呼ばれる極て冷涼な北風が吹くため、厳しい気候となる。気候区分では、中央高地型の内陸性気候に分類される。降水量が少なく晴天が多いことから、年間の日照時間は約2,200時間と全国でも有数の長時間となっている。


【町の沿革
明治以前,近世において当町区域は甲斐国の巨摩郡逸見筋(こまぐんへみすじ)」に属し、以下の4村があった。

 小淵沢村(こぶちざわむら)
 
上笹尾村(かみささおむら)
 
下笹尾村(しもささおむら)
 
松向村(しょうこうむら

1875年上笹尾村・下笹尾村が合併して「篠尾村(しのおむら)」が成立。上笹尾・下笹尾の両村は大字ともに合併し「篠尾村篠尾」とした。松向村は現北杜市の「中丸村(なかまるむら)」「片颪村(かたおろしむら)」と合併し「清春村(きよはるむら)」となる。小淵沢村は合併を行わず単独で存立した。
1889年松向地区が清春村より分離し篠尾村と合併し「篠尾村清春」となる。明治後期~大正期にかけて、篠尾村は大字を改称し、以下の通りにする。
篠尾村篠尾は「篠尾村上笹尾」・「篠尾村下笹尾」篠尾村清春は「篠尾村松向」

1954年小淵沢村と篠尾村が合併。町制を施行し現在の「小淵沢町」となる
2006年3月15、北杜市編入合併(これに伴い、北巨摩郡は消滅)。北杜市の地名の一つとなった。

近世(慶長年間)から「小淵沢村」の名は検地帳などの文献に散見されており、明治期の町村制施行時にも適正規模であるとして他村との合併を経験せず「小淵沢」の名が残った。そのため小淵沢町は北巨摩郡において近世からの村落名が21世紀に至るまで自治体名として存続した唯一の町村となった。


歴代町長

小淵沢町では誕生から北杜市との合併による消滅までの間に、9名・計15代の町長が在職している

氏 名 任  期 退任理由
1  花輪定司  1954年(昭和29年)4月23日 - 1958年(昭和33年)4月22日  任期満了
2  宮沢一郎  1958年(昭和33)年4月23日 - 1959年(昭和34年)1月29日  任期中逝去
3  進藤誉造  1959年(昭和34年)3月15日 - 1963年(昭和38年)3月14日  任期満了
4・5  進藤武夫  1963年(昭和38年)3月15日 - 1971年(昭和46年)3月14日(通算)  任期満了
6  中山捷夫  1971年(昭和46年)3月15日 - 1972年(昭和47年)12月16日  任期中逝去
7  小林茂良  1973年(昭和48年)1月28日 - 1977年(昭和52年)1月27日  任期満了
8・9・10・11  坂本文雄  1977年(昭和52年)1月28日 - 1993年(平成5年)1月27日(通算)  任期満了
12・13・14  鈴木隆一  1993年(平成5年)1月28日 - 2005年(平成17年)1月27日(通算)  任期満了
15  中山賢一  2005年(平成17年)1月28日 - 2006年(平成18年)3月14日  合併により失職

ISO14001取得
環境意識の高まりなどを受け、2000年(平成12年)に取得した。
「緑風おこるまちづくり」計画
バブル崩壊以降の経済低迷を受け、観光客にもまちの人々にも魅力あるまちづくりが求められたため、「緑園高原の町」を将来像として策定された。7箇所の公園の整備とそれらのネットワークによる結合、新旧住民の交流の場の整備、都市と農村の交流の場の整備などが柱。ただし一部の実現したものを除いて、計画の多くは合併によってすでに過去のものとなっている。
こぶちさわアグリルネッサンス特区
遊休農地の市民的利活用や、都市農村共生・対流の積極的展開を図り、本町農業農村の再生(アグリルネッサンス)を実現する」ために、「農地貸し付け方式による株式会社等の農業経営への参入の容認 ・市民農園の開設者の範囲の拡大」を行う構造改革特別区域の申請を行い、2003年11月の第3回認定において認定を受けた。
山梨県建築基準法施行条例
小淵沢町では無秩序な建物の建築を防ぐために、「小淵沢町土地開発事業及び建築物並びに景観形成の適正化に関する指導要綱」によって指導を行っていたが、法的強制力がなく、指導に従わないケースが見受けられた。そのため山梨県との協議により、1995年(平成7年)10月1日より町内の自然公園地域を除く全域が、建築基準法第6条第1項第4号に基づく「知事の指定する地域」となり、建物の新築や一定規模以上の増改築などに際して建築確認が義務付けられている。また町内の指定区域は3つに分類され、それぞれ建蔽率・容積率・高さに関しての規制が行われている。この規制は北杜市にも継承されており、町域のほぼ全てが指定されているのは北杜市内で唯一である。
小淵沢町サイン計画
小淵沢町は観光業が盛んな町であるものの、景観保全、その中でも特に看板の設置に関しての規制が遅れており、景観を損ねる原色調の看板や、メンテナンスされずに朽ち果てた看板などが乱立していた。景観保護や交通安全の観点による不要看板の撤去は行われていたが、それを一歩推し進めた形で町主導による「小淵沢町サイン計画」が1997年に2ヶ年計画で立案され、高原観光地にふさわしい統一的サイン(標識)の設置や民間設置看板類の規制の準備などが進められていた[67]
2ヵ年計画による検討をもとに、公共の案内標識に関しては小淵沢町サイン計画に準拠したものが2000年より駅前などの町内モデル地区から順に各地に設置されたものの、民間設置看板類の規制に関しては北杜市との合併によって事実上立ち消えとなってしまっており、町内には景観に配慮されていない看板類が今でも多く見受けられる。


入札制度改革

小淵沢町では町発注の競争入札に対して以下の取り組みを行うことで、コスト削減による財政負担の軽減や公共工事に絡む不正の発生を防止することを目指した。

入札は1回限りとする
従来は最大で3回の入札を行い、それでも落札されない場合は3回目の入札において最低の価格を提示した業者と協議の上で価格を決定する方式が取られていたが、それを1回のみとし、不調の場合は業者を全て入れ替え再度入札を行う方式に改めた。
最低制限価格の撤廃
多くの自治体では粗雑工事などを防止するために最低制限価格が定められ、それ以下の価格での応札は失格とされる制度となっているが、それを撤廃した。ただし極端に低い金額に対しては審査を行うこととした。
予定価格の非公開
落札価格の上限となる予定価格を知ろうとする業者と役所との癒着が問題となり、これを公表することで癒着の防止を試みる自治体が増えたが、小淵沢町では逆に「業者の見積に対する意識の低下を招く」としてこれを非公開とした。

また、談合等の防止のためには以下の取り組みを行った。

現場説明会の同時開催
それぞれの工事に対して1件ずつ現場説明会を行っていたが、誰が指名業者として参加するのかが分かってしまうため、複数の工事の参加業者を一堂に集めて複数の現場の説明会を同じ会場で行う方式に改めた。
時差指名の実施
当初指名した業者の他に、入札までの間に時期をずらして他の業者を指名するようにすることで、誰が参加するかの把握を難しくした。
入札手続を2回に分け、最後に全ての入札書を同時に開封する
入札時に業者を2グループに分けてそれぞれ別に入札書を提出してもらい、2回目の提出の後に1回目のグループも含めた全業者を集め、そこで全ての入札書を開封して落札業者を決めるという方式を採用した。

これらの取り組みにより落札金額も低下し、1993年(平成5年)から2003年(平成15年)までの10年間で約23億円の入札差金(剰余金)が生じた。これらの取り組みは全国の自治体から注目を集め、当時は入札制度以外の視察も含めて2,000名近くの視察者があったといわれる。

 町財政

小淵沢町は高度経済成長期においては典型的な地方農村であり、他の地方農村と同様に過疎化にも悩まされていた。町財政も豊かとは言えず、例えば町道の舗装が本格化したのは、1971年(昭和46年)に過疎地域に指定され、過疎債の起債が可能になってからのことである[70]。しかし高度経済成長が一段落し、中央自動車道が開通したことによって「首都圏から日帰り・短期滞在で訪れることが出来る余暇スポット」という立地条件に恵まれたため、昭和50年代中頃から高原観光地として観光産業の発展が著しくなった。

それに伴い過疎地域の指定も解除され、1990年代に入ってからは上記の入札制度改革が行われたこともあり町財政の健全化が進んだ。2003年(平成15年)における財政力指数(3ヵ年平均)は0.559と、北巨摩郡下においては双葉町と同率でトップの数値を示した[71]。ちなみに財政力指数は、0.5が自治体の自立の目安とされる[72]

参考までに比較対象として、その当時(2003年)の北巨摩郡下他町村の財政力指数を以下に示す[71]

小淵沢町 双葉町 明野村 須玉町 高根町 長坂町 大泉村 白州町 武川村
0.559 0.559 0.227 0.319 0.348 0.379 0.507 0.386 0.265


平成の大合併への対応

平成の大合併により北杜市が成立し、北巨摩郡は消滅した。しかし、北巨摩郡の中でも縁の部分にあり、長野県との境に位置する小淵沢町では、大規模合併により弊害が生じることが予想されたため、市町村合併について町を二分する議論がある。合併に至るまでのいきさつは以下の通り。

 合併問題に関する住民へのアンケートを実施(2002年1月)
  • 2004年8月31日に北杜市が成立するまで、山梨県北巨摩郡には9つの町村があり、そのうちの八ヶ岳南麓に位置する小淵沢町と長坂町・高根町・大泉村の4ヶ町村は「4ヶ町村組合」を設置し、広域的な結びつきがあった。山梨県の進学校の一つである甲陵高等学校は、4ヶ町村組合によって設立された学校である。
  • 山梨県内で市町村合併に向けた活動が活発化したことから、町は2001年12月28日から2002年1月21日までを期間として、市町村合併に関する住民アンケートを実施した。
  • アンケートの結果、「特例法の期限に縛られるべきではない。しかし将来的には合併すべきである」という意見が33.7%と最多数を占めた。また、合併の枠組みに対する考え方も以下の通りとなった。
    • 「八ヶ岳南麓4ヶ町村」21.7%
    • 「小淵沢町・長坂町」8%
    • 「4ヶ町村に白州町を加えたもの」6.6%
  • アンケートから得られた住民の希望は、「現在ではなく、『将来的に』合併を行う必要がある。その際の枠組みは『八ヶ岳南麓4ヶ町村』が望ましい」ということであった。
 アンケート結果を踏まえ峡北地域合併協議会への参加を見合わせ(2002年3月)
  • 合併に関する熱の高まりを受け、北巨摩郡の他町村においても合併への考えを明白にして、地域における発言権を得るための活動が活発化していた。峡北地域唯一の「市」であった韮崎市に隣接していた明野村及び武川村では、韮崎市との合併を行うかについてアンケートや住民投票が行われたが、その結果、両村とも韮崎市への編入合併ではなく、「北巨摩郡8町村(双葉町を除いた北巨摩郡に属する、明野村・須玉町・大泉村・高根町・長坂町・小淵沢町・白州町・武川村)」による新市設立が希望されるなど、市町村合併そのものが行われることは確実な情勢であった。
  • その結果、2001年10月3日、峡北地域の各町村議会の代表により合併の協議をおこなうための8町村議会合併委員会が設立された。この委員会は竜王町、敷島町との合併枠組みに参加した双葉町を除いた北巨摩郡8ヶ町村に加え、韮崎市に対しても参加を打診するなど、大規模な合併(峡北市構想)を視野に入れていた。翌2002年3月12日、合併委員会は任意合併協議会の設置について合意したが、小淵沢町は合併の構想と住民アンケートとの方向性が異なったため、その時点での参加は見合わせた。3月15日には、韮崎市も協議会への参加を見合わせた。
 住民サービス維持のため町単独として存立することを決定(2002年9月)
  • 合併委員会が合併協議会の設置について合意する前日である2002年3月11日、小淵沢町は峡北地域合併協議会の枠組みとは別に、町村組合を形成していた3町村(長坂町、大泉村、高根町)に合併申し入れを行ったが、7ヶ町村での合併が協議されているとの理由で拒否の回答が得られた[74]。また、その後2002年7月1日、白州町に対しても合併の申し入れを行った。これは、現白州町の成立にかかわった「鳳来村」との間に昭和の大合併期に一度合併の話が持ち上がったということや、4ヶ町村とは別に交流を進めていたこと、さらに地理的な境遇が類似していたからであるが、合併協議会が成立しているという理由で拒否との回答が得られた。
  • その結果、町として取り得る選択は「合併協議会に参加し、7町村と合併する」又は「単独で存立する」のどちらかであった。その選択肢について町の合併検討委員会が検討を行ったところ、以下のような意見が出された。
    • 「小淵沢を合わせた8ヶ町村の枠組みは規模が過大なため、地理的に端となる当町では住民へのサービスが低下するおそれがある」
    • 「地域の特色が喪失してしまう」
    • 「地域の一体感が保てなくなる」などリスクが高い
  • また、町と住民とで意見交換会を行ったが、8ヶ町村大型合併を支持する意見が皆無であった。そこで、2002年9月30日、小淵沢町は峡北地域合併協議会には参加せずに単独存立を行う旨を表明し、「参加の保留」としていた峡北地域合併協議会から離脱した。その1年ほど後の2003年10月10日、峡北地域合併協議会は合併調印式を行い「北杜市」となることを決定した。
 合併特例法期限内の合併を求める動きが再燃(2004年6月)
  • 小淵沢町は単独での存続のために財務状況の改善などの取組を行っていったが、合併協議会の離脱から1年9ヶ月も経過した2004年6月上旬、突如として合併推進運動が始まった。その年の11月1日には北杜市の成立が、また、翌2005年3月31日には合併特例法の期限が控えていた。合併推進運動には、単独存立を行う決議に参加した町議会の議員も参加しており、単独存立派からは、「合併特例債目当ての拙速な議論」との非難が起こり、住民の世論は二分した。
  • 2004年7月5日合併推進派より、合併特例法の期限が到来する前に町としての方針を決めるべく臨時議会の開催が求められたことに伴い、町議会が開催され、住民投票条例案が提出された。この条例は、町が合併に対する今までの方針を転換する可能性がある以上、その方針が二転三転しない事を確として北杜市に知らせる目的に加え、地方議会の決議を尊重し間接民主制の尊厳を守るため、合併賛成・反対のどちらかが投票数で上回っても、投票率が有権者の過半数である5割を超えない場合には、「住民の総意」としては認められないとして、町政上尊重する必要はないという規定が盛り込まれていた。
  • そのため、合併推進派からは「この条例は民主主義に反していて認められない」などの非難が巻き起こったが、条例に基づき2004年8月22日、合併の是非に関する住民投票が行われることとなった。
  • 開票の結果、投票数は賛成派が上回った。しかし投票率が5割に満たなかったため、規定に従い尊重されないこととなった。しかし町内には「民意は合併賛成」という空気が支配的となり、また「条例は認められない」との非難も急速に下火になり、にわかに合併推進という動きが見られ始めた。
 方針を転換し北杜市との合併を決定(2004年12月)
  • 住民投票から4ヶ月後の2004年12月、町長の任期満了を控え、町長選が行われることとなった。町長選をもって住民投票から続く混乱の終結を図ることが求められた。しかし、単独存続派の現職の町長は、多選しないことを公約にしていたため町長選に出馬せず、また後継候補も立たなかったので、合併賛成派の候補者が無投票当選をした。
  • 当選した推進派町長は、合併特例法期限内の合併を目指す意向を表明した。その後、2004年12月8日には、町議会は「北杜市との合併協議会を早期に設置することに関する決議案」を可決した。この議決は、単独存立を唱えていた議員の「鞍替え」によって、合併賛成派が多数となったため可決された。
  • 合併特例法の期限が迫る2005年2月10日、決議に基づき北杜市との法定合併協議会を立ち上げ、小淵沢町を北杜市に編入することが決定された。議決から2ヶ月あまりで行われたため、合併賛成派(期限内合併反対派)からも批判が生じた。2005年3月、反対派は「町長選において民意の反映されない形である無投票当選により選出された町長と、町議会選挙を経ずに政策を鞍替えした議員が、地方自治体の法人格の喪失につながる決議をすることは住民にとって好ましくない」として、直接請求を行って住民投票条例の制定を求めたが、町議会は提出された住民投票条例案を否決した。
  • 2005年3月25日、小淵沢町と北杜市の合併協定調印式が執り行われ、その日のうちに合併関連議案が両市町議会で可決された。その後7月6日には山梨県議会で可決され、7月29日には総務大臣が官報に告示し、もって両市町の合併が正式に決定した。

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